小学2年生の息子の初めての山小屋泊登山。2日目は高山植物の咲く草原を登り、山頂へ向かう。
9.まるで浄土か天上の道
仏性池小屋から山頂へ向かう道は、高山植物の咲く草原を行く。
薄い霧に包まれた山は遠くの見えない分、その景色がどこまでも続きそうで、下界とは離れた天上の世界のように見える。
月山は死者の赴く山なのだそうだ。
そう言われると、さっき後ろから現れ、少し言葉を交わし、僕たちを追い越してじきに霧の中に見えなくなった人が、実はこの世の人でなかったと言われても、そうかもしれないと思わせる雰囲気がある。
「浄土」という言葉が思い浮かぶ。
月山を含む出羽三山はもちろん、平泉や恐山など、東北には独特に信仰の根差している場所が多くあるように思う。その根元にあるのは、こうした山の景色なんじゃないか、なんてことに空想は膨らむ。
ゆうべ山小屋で聞いた話によると、昔は山小屋がもっとあって、お盆になると、山頂の神社から順に麓に向かって送り火を焚いて、里の人はそれを見て、迎え火を焚いたのだそうだ。
死者の世界と生者の世界がそうして視覚的につながる。
それが一つの山と平野という生活圏全体を包む広さの景色になっている。
そして、山は普段訪れない遠さではあるけれど、行けない距離ではない。
精神的な世界と日常の世界が重なる。
10.月山山頂
月山山頂には神社があるのだけれど、三角点は神社の裏手、御田原方面から登ると神社の手前にある。登山道から少し外れた右に登った所にあるので、うっかり通り過ぎてしまいそうになる。
最高点に行っておきたい人は、ちょっと注意が必要だ。
山頂には岩の上に山名板が3つ置いてあって、好きなものを選べる。並ぶと、誰が持ってきたのかローマ字で「GASSAN」と書いてあるもののインパクトが強い。
ちなみに、この「GASSAN」四角柱になっていて、他の面は漢字標記などになっている。
山頂には神社がある。お参りして、お守りを買った。
11.草原と笹原
下山は反対側、月山リフトへ向かう。
山頂を過ぎると、森林限界上の見晴らしの良さは変わらないものの景色が変わる。御田原方面の北側は高山植物が多いのに対して、南側は乾いていて笹が多く花が少ない。
植生の違いは、気候のせいなのか、日当たりのせいなのか、土壌のせいなのか、分からないけれど、山頂までずっと霧の中だったのが、いつの間にか晴れている。
もしかしたら、夏の間、風向きの関係で、北側は霧が多くて、南側はからっと晴れることが多いの気候なのかもしれないなんて想像する。
リフト方面から登ってくる人が増えてきた。
ここまでずっと、歩くペースを子どもに合わせるため、子どもを前にして歩いてきたけれど、人が増えてくると、道を譲ったり譲られたりすることが増えて、その都度、子どもに「ちょっと待って」とか、「先へ行って止まって」とか、指示することが多くなって、会話がギスギスしてくる。
次々と反対側から登ってくる人に辟易して、「こんなに待ってたら日が暮れる」と人のいない時に呟いていたら、大人数のパーティーとすれ違う時、子どもが真似をして聞こえるように「こんなに待ってたら日が暮れる」と言ってしまった。
あまりに極まりが悪く、子どもの頭をはたくと、子どもは泣いてしまった。
山道は狭いから、どこですれ違うかが意外と難しい。山でも人の多い場所では、子どもの前を歩いた方が良さそうだ。
ストレスは街を歩くのと変わらない。
下りはだいぶペースが落ちて、リフトには11時頃到着。山頂からコースタイム2時間弱のところを3時間かかった。
リフトの下には足や手で触れるほどの高さに花がたくさん咲いていて、手を伸ばすと、花に集まるアオスジアゲハを捕まえられた。
バス停に着くと、バスまで1時間くらいあるので、近くのホテルの日帰り入浴を利用した。
寒河江駅に向かうバスは途中の道の駅で乗り換えるのだけれど、思っていた時間にバスが来ない。
よくよく時刻表を見てみると、そのバスは土日祝日は運休なのだそうだ。
次のバスまで2時間、子どもとかき氷を食べて待った。
道の駅には温泉もあったので、こっちで温泉に入っても良かったかもしれない。
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