10月の紅葉の時期に、群馬県と長野県の境の浅間隠山を訪れた。
登山口までのアプローチが少し遠いけれど、その分高くまで車で行けるので、歩く距離は短くなる。小1の息子を連れて、紅葉と山頂からの展望を楽しんだ山歩き。
【データ】
<日付>2023年10月下旬
<ルート・所要時間>二度上峠登山口(2時間)山頂(1時間35分)二度上峠登山口
<メンバー>中学1年生の娘と小学1年生息子と妻と自分
<その他>途中に急坂あり。そこを滑らずに登れれば子どもでも登れる。道迷いには注意。
登山口の二度上峠へは、高崎から国道406号線を辿り、倉渕という所から県道に入って向かう。Googleマップによれば大体高崎から60kmくらいで、高速道路を下りてからが長い。
途中、倉渕にある道の駅が運転に飽きてきたころの休憩場所になる。
ここは、幕末の幕臣・小栗上野介の領地だったそうで、新政府軍に殺されるまで短期間、住んでいたそうだ。それでなのかは知らないけれど、道の駅も「くらぶち小栗の里」という名前になっている。
もっとも小栗上野介の知名度もそれほど高くないように思うので、アピールとしてはややマニア向けかもしれない。
今はそんな動乱の歴史を感じさせない静かな山間の里だ。
倉渕を過ぎると、いよいよ山の中の道になる。
烏川に沿って上流へ向かい、途中、高巻きした新しい道を通り抜ける。帰宅後調べてみるとダム予定地だったようだが、計画が中止になった場所なのだそうだ。
温泉施設はまゆう荘を過ぎると、峠道をくねくねと登る。澄んだ明るい秋の光に包まれた山の木々は、赤や黄色に彩られて僕たちを迎えてくれる。
登山口には10時30分頃到着。毎度ながら、山登りをするにはやや遅い時間になってしまった。
こういう時は、タイムリミットを決めて登る。
例えば、この日だと、日暮れは5時前だから、4時30分には登山口に戻っていたい。登山地図に書いてあるコースタイムだと下山は1時間20分。最悪3時には山頂を下り始めないといけないけれど、子どもの足だから余裕をもって、山頂についていなくても1時30分か2時くらいには諦めて下山しようか。のような感じだ。
車から見た木々はすっかり色づいているように見えたけれど、山の中に入って見ると、まだ木々は色づき始めのような感じだ。
登山口からしばらくはカラマツの林を登る。
20分ほど登ったところで休憩。ここからしばらく、なだらかな道が続く。
この辺りは雑木林で木の葉は黄葉している。
さらに40分ほど歩いたところで、丁度12時になったので、持ってきたおにぎりを半分食べる。
再び歩き始めるとここから、30分ほど急な登りが続いた。意図はしていなかったけれど、腹ごしらえしてから大変な所に向かうことができた。
この辺りはダケカンバの白い木の幹が多い。ダケカンバはもう葉を落としている。
急坂を登りきってからは、なだらかな道で、最後に少しだけ頂上に向かって登る。
頂上手前辺りから灌木が多くなり、展望が効くようになる。雪を被って白い北アルプスも見えた。
頂上には1時10分ころ到着。タイムリミットには間に合った。
灌木に囲まれた頂上はそこそこ広い。さっき北アルプスが見えた西側は木がさえぎっているけれど、そのほかの方角の展望は良好だ。
まず一番に目に入ってくるのは、浅間山。火山の広い裾野を挟んで正面から向かい合うような立地になっている。
浅間山の左には八ヶ岳、その左奥には南アルプスが遠くに見える。見えているのは北岳と間ノ岳のあたりだろうか。さらに左には奥秩父の山並みと、その奥には富士山も頂上を覗かせていた。
東は、まず手前に榛名山。あんなにゴツゴツ尖っていただろうかと思うほどに尖った山が連なっている。その奥には赤城山。
さらに奥には男体山や日光白根山など日光の山並み。北に向かって目を転じていくと、上州武尊山や、燧ケ岳、至仏山と尾瀬の山。森の中開けて見える中之条の町の手前には魁偉な岩峰の岩櫃山が目立つ。
惜しむらくは、高圧電気の鉄塔が幾筋も横切っていること。東京というのは電気をかき集めて消費しているということがよく分かる。
高圧電線の鉄塔の列は、上越国境の白い山並みを目指して連なっていく。
山頂から知っている山を探して見つけるのは楽しいものだけれど、浅間隠山はその楽しみをたっぷりと味わえる。
特に僕はこの近くの山に来ることがあまり無いので、いつもと違った向きで山を探すのは少し頭を使う分、より面白さがある。
残りのおにぎりを食べてから下山を開始。山頂にはまだ残っている人たちもいて、自分たちが一番最後でないというのは、日の短い季節、少し安心感がある。
急坂を下りる時は、すべってもいいように小1の子どもの前を、電車ごっこのように両手をつないで歩く。夏に一緒に行った蔵王では、火山灰の急坂ですべってばかりいた息子も、この日はすべることなく、坂を下り終えた。
夕日が差す黄葉の雑木林の中を下りていく。
途中の木には、黄色のペンキで道しるべに矢印と「出口」の文字が書いてあった。
山の中の標識で「出口」という表現は初めて見た気がする。
「出口」と言うと、「登山口」と言うよりも境界部分が強調されるようで、山の中の非日常的な世界から、普段暮らす日常の世界へ、帰っていくイメージが強くなる。
僕としては、自分の住む世界の隣にこんな自然があるということも感じたいので、世界をそんなに分離しないでもいいのだけどなと思いつつ、「出口」という表現も、それはそれで自然の中に潜む人の力の及ばぬものの世界に足を踏み入れているような感じがあっておもしろい。
他にも、今回の登山道には、登山者がたくさん歩いて深く道がえぐれることを「山の肌荒れ」と表現する看板もあったりして、この山に標識を立てる人たちは、独特の言葉遣いをしている。
日暮れ前、3時45分頃、無事登山口に到着。
登山口がやや遠く、かつ、公共交通機関がないので、マイカー・レンタカーで長時間運転することが前提になるけれど、コースタイムが短く、山頂からの展望も良い、子どもを連れて行くのに良い山だった。
ただ、特に落ち葉の季節は道が埋もれて分かりにくいことがある。実際、間違った方向に進もうとしている人も見かけたので、慎重に「出口」を探すのが良いと思う。